Concept

エデュケーショナル・マルトリートメントとは

 エデュケーショナル・マルトリートメント(educational maltreatment)という概念について,このテーマに関する代表的研究者の一人で一般社団法人ジェイス代表理事の武田信子先生は次のように定義しています。

“エデュケーショナル・マルトリートメント(educational maltreatment)とは, 「大人が子どもに対して教育のつもりで行う,子どもの発達や健康にとって不適切な行為」を定義とする和製英語です”※1

 このように,エデュケーショナル・マルトリートメントは,武田先生によって提起された新たな概念であるといえます。
 さらに武田先生は次のようにも述べておられます。

 “子どもたちが自分の生きる世界を理解し把握するために学びたいという,真の人としての成長発達のニーズではなく,大人の将来への不安や欲望から強制的に学ばされている状態のことを,私は『エデュケーショナル・マルトリートメント』と名付けました。これは,親による教育虐待だけでなく,社会全体の歪んだ教育観によってなされる,大人たちから子どもたちへの不適切な行為のことです” ※2

関連する概念

 エデュケーショナル・マルトリートメントには,関連する概念として教育虐待や教育ネグレクトがあります。大雑把に言えば,エデュケーショナル・マルトリートメントは以下に紹介する教育虐待と教育ネグレクトを包括する概念であるといえます(細かな概念の違いについては文献※5をご覧ください。)。
 教育虐待について,武田先生は次のように定義されています。

 “親が教育という名目で行う子どもの受忍限度(心身が傷つきに耐えられる限界)を超える虐待”※2

 教育虐待は,武田先生によると,埼玉大学の岩川直樹先生が調査で社会福祉法人カリヨン子どもセンターを訪れた際に,職員同士の内輪の会話で用いられていたと岩川先生から伝え聞いた用語であるとされています※3。他にも,武田先生は教育虐待について次のような説明を行っています。

 “生きて行く上で必要な知識や技能を獲得させ,人間性などの力を涵養する「教育」は,子どもたちが社会を担う市民になるために必要なものです。しかし,大人がその「教育」の名のもとに子どもたちに過剰な負担を与え,彼らの心身のバランスや心理社会的発達を阻害するような扱いをしたら,それはもはや「教育による虐待」といえるのではないでしょうか。「教育」という行為を通じて,子どもたちの心身を損なう,いわば「教育を方法とする虐待」です”※4

 一方,教育ネグレクトについては,端的に示せば,子どもにとって必要な教育をしないこと,子どもに必要な教育を受けさせないこと,といえます。教育ネグレクトは,エデュケーショナル・マルトリートメントや教育虐待とは異なり,国際的な学術用語です。

 武田先生は,エデュケーショナル・マルトリートメントと教育虐待,教育ネグレクトの関係を次のように整理しておられます※2

武田(2021)の「大人から子どもへのマルトリートメント」の概念図(文献※2より引用)

 図全体が大人から子どもへのマルトリートメントを表しており,その中心にエデュケーショナル・マルトリートメントが位置づけられています。そして,図全体がマルトリートメントの行為者の種類によって左右に分割されています。図の左側には,「親・保護者」による,従来からの虐待やネグレクトと呼ばれてきた「家庭でのマルトリートメント」が位置し,図の右側に教育関係者,行政,教育産業,地域,メディア,企業といった広範な「社会」によるマルトリートメントが位置しています。この「子どもの社会的マルトリートメント」は,従来の虐待やマルトリートメントの概念を拡張した新しい概念といえます。同様に,図の上下もマルトリートメント行為の種類によって分割されており,上半分全体が不適切な行為を行うこと,下半分全体が必要な行為をなさないこととされています。これら2 軸によって,図全体が4 象限に分けられており,内側のエデュケーショナル・マルトリートメントにおいても,さきほどの行為者(保護者/社会)と行為の種類(強制―虐待/剥奪―ネグレクト)によって4 象限に分けられています。このように整理することで,子どもに対するマルトリートメントは,親や保護者,あるいは教師や保育者,スポーツ等のコーチなどの子どもを直接指導する教育者だけでなく,子どもを取り巻くより広い「社会」的環境によってももたらされていることが主張されています。

 私どもの研究プロジェクトも,基本的には武田先生が示された枠組みを参照して研究活動を行っています。

文献